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「BAR 天井桟敷の人々」の歴史

 

1982年​、東大生・日医大生・藝大生が集う場所にしたいと、美智子ママが「舶来居酒屋 天井桟敷の人々」を根津にオープン。

佐野マスターの、映画・演劇好きが高じ、フランス映画「天井桟敷の人々」から命名、以来「てんさじ」の愛称で親しまれる。

開店から約10年、佐野マスターが闘病生活に入ると、両親とマスターを自宅介護しながらお店を守り続けるという美智子ママの奮闘生活が始まる。

そして、美智子ママと藝大生スタッフの時代へ。

2011年、美智子ママの体調不良も重なり、かつてない経営危機に陥るが、常連のお客様の出資の申し出により、(株)天桟倶楽部へ。

「BAR 天井桟敷の人々」に生まれ変わり、共同経営が始まる。

2014年、美智子ママが持病の心臓病の発作で亡くなる。76歳、亡くなる前日までお店に出勤、数時間前にはイケメン藝大生と電話で会話、美智子ママは最後の最期までお店の華でした。

美智子ママが亡くなりまたもお店存続の危機に陥るが、根津で生まれ育った素敵なゆりママとの出会いにより、新しいてんさじの幕開けへ。

そして、2016年、宮村マスターの新しいてんさじへ突入する。

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